マルフクってどんな会社?

大阪市淀川区木川西2丁目「マルフク」の名前は、全国津々浦々の赤白の看板でおなじみだと思います(とはいっても、ご存知ない方も増えているのでしょうね)。しかし、その事業については謎に包まれているところもあるかもしれません。

マルフクのお仕事

まずはマルフクのWikipediaを見てみましょう(下記内容は2018/11/14参照)。

株式会社マルフク(まるふく)は、かつて存在した日本の電話加入権売買・電話担保金融業者である。貸金業登録番号は大阪府知事(1)第12529号であったが、現在は廃業し登録業者ではない。

「電話加入権売買・電話担保」とあるように、NTT(旧電電公社)の電話加入権を担保にお金を貸していた会社だったようですが、今では廃業しているようです。では「電話加入権」とは?NTT東日本のサイトから引用します。

電話加入権とは、「加入電話契約者が加入電話契約に基づいて加入電話の提供を受ける権利」(電話サービス契約約款第21条)です。 一方、施設設置負担金は、加入電話等の新規契約の際にお支払いいただく料金であり、加入電話(単独電話)の場合で現行72,000円(税込75,600円)となっています。
この施設設置負担金は、加入電話等のサービス提供に必要な弊社の市内交換局ビルからお客さまの宅内までの加入者回線の建設費用の一部を、基本料の前払い的な位置付けでご負担していただくものであり、お客さまがお支払いいただいた額を加入者回線設備の建設費用から圧縮することにより、月々の基本料を割安な水準に設定することでお客さまに還元させていただいており、解約時等にも返還いたしておりません。
従って、施設設置負担金は、弊社が電話加入権の財産的価値を保証しているものではありませんが、社会実態としては、電話加入権の取引市場が形成されています。また、質権の設定が認められ、法人税法上非減価償却資産とされる等の諸制度が設けられています。
(引用元:施設設置負担金についてのご説明 | お知らせ・報道発表 | 企業情報 | NTT東日本

昔は電話網の整備が電話需要の伸びに(資金的な意味で)追いついておらず、発展途上の電話網の整備に出資するような形でお金を払うことで、電話回線を引いてもらうことができたのです。そして、「電話加入権の取引市場が形成されてい」て、「質権の設定が認められ」ていることから、マルフクのような「電話加入権売買」や「電話担保金融」というビジネスが成立していました。マルフク看板に書いてある「電話の金融・販売」とは、このようなビジネスを意味していたのです(電話を掛けてお金を借りるとか、黒電話を質入れしてお金を借りるとか、そういう意味ではありません)。

しかし、電話網の整備が進んだことに加えて、

電話加入権は、NTT以外の会社が提供する固定電話回線や、携帯電話(NTTドコモを含む)、NTTのIP通信網サービスで提供される、フレッツ光やひかり電話では不要である。また、施設設置負担金が不要な料金プラン(ただし基本料金が若干高くなる)もあり、現代においては電話の利用に必ずしも必要となる権利ではないので、特に有償で権利の譲渡を受ける場合などは自身の希望する契約に対しての必要性を十分確認することが望ましい。
(引用元:Wikipedia「電話加入権」

とあるように、21世紀の現在では電話加入権がなくても電話を使う方法がいくらでもあり、電話加入権の存在意義は薄れつつあります。実際、電話加入権の市場取引価格((参考資料8)電話加入権取引市場における売買価格の推移)は、1995年3月に55,000円だったものが、2004年10月時点で11,000円にまで下落しています。現在はというと、ある取引業者のページに表示された買取価格は「999円」(電話加入権の(株)ハローネットワーク)。こうなってしまっては、電話加入権を担保に融資を行うというビジネスモデル自体がもはや成り立ちませんね。

マルフクの歴史

マルフクの沿革がWebサイト(現在は閉鎖、Internet Archiveにリンク)に載っています。

1958.4 丸福電話店創業(布施市)
1968.4(株)丸福創立(岸和田市)
1985.2 東京都中央区に東京本社移転
1986.10 大阪府堺市に大阪本社移転
1992.2 大阪府貝塚市に事務センタ−竣工
1995.5 マルフク信用保証(株)設立
1999.12三洋電機クレジット(株)と提携
2000.4 (株)シーシー・エー設立
    〔三洋電機クレジット(株)と共同出資〕

さらに続きの情報がマルフクのWikipediaにまとめられています。

2002年5月 ディックファイナンス株式会社(現・CFJ合同会社)に営業の大部分を譲渡。当時存在した全国の174営業所(大阪本社、東京都中央区日本橋久松町に存在した東京本社等も含む)は、ほぼ全てが閉鎖または売却された。
2002年5月 電話担保金融事業からの撤退に伴う諸手続きなどのため、同年9月まで新規融資を停止。
2002年8月 マルフク信用保証を吸収合併。
2003年2月 マルフク事務代行(旧マルフク事業協同組合)をマルフクの資産管理会社であったシークエッジ(旧善光、大阪府岸和田市)へ吸収合併させる[2]。
2005年12月 貸金業部門を「マルフククレジット」へ承継。「マルフククレジット」は「マルフク」、旧マルフクは最終的に「ヴィラージュ・キャピタル」へ商号を変更。
2006年12月 新規の融資受付を停止。
2009年1月 貸金業登録の廃業。

電話担保金融自体が成り立たなくなってきたことで、マルフクは事業の縮小を迫られていきます。2002年に電話担保金融事業から撤退し、2009年には貸金業登録を廃業となりました。各地のマルフク看板の営業所は閉鎖され、屋上のネオン広告もほとんどが撤去されてしまっています。ただ、「当時存在した全国の174営業所」とは言うものの、実際には(同時ではないにせよ)320以上の営業所があったことが確認されていて(全国の営業所リスト参照)、実際にはもっと前から経営は苦しかったのでは(店舗の整理が必要だった)と推測します。

マルフク自体はこのような状態となったものの、マルフクの源流は関連企業に引き継がれているようです。マルフクの創業者、白井辰巳氏の長男である白井一成氏が、マルフクを継いだ後、年表に名前が登場した「シークエッジ」(現在は株式会社シークエッジ・インベストメント)の代表取締役社長となっています。

シークエッジグループは1958年4月に創業し、
現在では、業種・規模・ステージにかかわらず、
長期的な視点に立った投資を行っております。
(引用元:シークエッジグループ | SEQUEDGE Inc.

とあるように投資関係の会社になっているようですが、創業が「1958年4月」となっているところを見ると、あの会社の流れを受け継いでいるのでしょうね。あとシークエッジのロゴマーク…

マルフク看板

マルフクが隆盛を極めていた頃、日本全国の民家や倉庫、ブロック塀などに大量の「あの看板」が貼り付けられました。

街角の塀やフェンスなどに貼ったマルフクの赤白の「貼り看板」は、つくるのも貼るのも安くすみ、ランニングコストもほとんどかからないのに、社名の認知度向上には非常に大きな効果がありました。
(白井一成著、『企業進化ダイナミズム―私はいかにして巨額負債を解消し自律的再生を果たしたか』(六法出版社)、p.56)

かつては住宅地にもありふれていた(と思われる)マルフク看板ですが、もはや新しい看板が貼られることはなく、民家の建て替えなどで姿を消していきます。必然的に古い建物が残る地域で多く見られることになり、いつしかマルフク看板は「田舎の象徴」と認識されるようになりました。

↓「田舎」がサジェストされる。

ただ最近は、残った看板も経年劣化により色あせが進み、中には一目見ただけでは(場合によっては目を凝らして見てみても)マルフクと分からないほど真っ白になった看板を多く見かけます。また、マルフクが廃業していることを知っているのでしょう、他の金融業者などが看板をマルフク看板の上から貼り付けているケースが多発しています。かつてはそこら中にいくらでもあったマルフク看板ですが、今では頑張って探し回らなければ見つからないようなものになってしまいました。

このサイトでは、管理人が集めたマルフク看板画像のほか、いろいろな方から頂いたり、SNSで集めたりしたマルフク看板の情報をまとめてご提供していきます。マルフクの「ファンサイト」として、雑談のネタにでもしていただけると幸いです。